福岡の「へぇ!」をお届け!

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福岡と博多の違い

福博であい橋

福岡の中心部を流れる那珂川、実は、この那珂川は福岡と博多の歴史には欠かせない川ということをご存じですか?那珂川を挟んで、西は「武士の町・福岡」、東は「商人の町・博多」と呼ばれています。「博多」という地名は759年奈良時代から出てきたと言われています。平安時代にかけて日宋貿易の拠点として港を整備しましたが、幾度とない戦いで荒れ果てた博多を豊臣秀吉が「太閤町割り」と呼ばれる街づくりで復興させ、自由に商人が行き来できる町にしたということから博多は「商人の町」と呼ばれるようになりました。一方「福岡」という地名は黒田長政が福岡城を築城した時に那珂川から西のエリアを「福岡」と命名したことから始まりました。福博であい橋は、「商人の町博多」と「武士の町福岡」を繋ぐ分岐点!ぜひ訪れてみて!

昔から博多人は、新しいものがすきだった?

博多どんたく

福岡市の市民性、お祭り好きの、新しい物好きの、新しい物好き。これは博多商人の歴史の影響を色濃く受けていると言えるかもしれません。商人の町・博多が栄えたのは貿易が始まりで、絶えず新しいものに触れる機会が多く、また海外へ持っていくための博多織や茶の湯に使う芦屋釜等の特産品を生産する力もあったためです。豊臣秀吉時代の博多は、商人が守る自治都市。全国的に有名な博多祗園山笠のお祭りを見ていると、商人政治の伝統を垣間見ることができます。昔は貿易に大きく関わったとも言われる博多地区のお寺に立ち寄りながら、商人の町の雰囲気を感じてみるのはいかがでしょうか?

下町福岡の面影が残る場所へ行ってみよう!

福岡市赤煉瓦文化館

武士の町・福岡。今はデパートや飲食店、オフィスビルがひしめく九州一の繁華街ですが、そんな街中でも当時の福岡城を中心とした城下町の面影を感じられる場所があります。城下町の東源を示す中央公園周辺に残る石垣や水鏡天満宮と並び、福岡の歴史を語る上で外せないのが、桝形門。福岡城築城の際、博多方面からの攻撃に備えるために石垣と共に築かれた博多-福岡の唯一の正式な出入り口として築かれた門(現在の福岡市赤煉瓦文化館の場所)でしたが、明治22年に撤去され、城下町福岡と商人の町を結び、現在の魅力ある都市の誕生に貢献したと言われています。

福博会招致のために作られた公園だった?

大濠公園

福岡市民の憩いの場・大濠公園。4つの橋で結ばれた中の島や浮見堂のある池は、その名の通りもともとは福岡城の外堀として使用されていました。昭和2年に東亜勧業博覧会を開催するため、約5年の歳月をかけ堀の一部を埋め立てて現在の形に整備されました。総面積約40万平方メートル、内約23万平方メートルが池という全国でも有数の水景公園。ショッピングや観光の合間に立ち寄って、福岡市民さながらリフレッシュしてみてはいかが?

浦島太郎伝説は志賀島にあった?

志賀島

島とはいうものの、陸続きのため車やバスで福岡市中心から40分程で行けるアクセス抜群の志賀島、島の名所でもある二見岩は「竜宮瀬」とも呼ばれていて、浦島太郎と乙姫が出会った場所と言い伝えられていることから、志賀島には独自の”浦島太郎伝説”があるのをご存じですか?神の島とも言われるこの島で、ハッピーエンドの伝説にあやかりながら、海風を体いっぱいに感じてパワーチャージの小旅行に出かけてみませんか?

博多人は鶏料理のアレンジが上手?

博多水炊き

福岡といえば美味しいものにあふれた町として全国的に有名ですが、焼き鳥に水炊き、かしわ飯にがめ煮から鶏卵素麺まで、鶏や卵料理のレパートリーも豊富で日本一鶏肉を食べる町でもあります。これは歴史的にも関係していて、当時の藩主の黒田家が財源確保のため庶民や下級武士に鶏を飼うことを推奨したり、徳川家への献上物が鶏だったこと、また長崎から続くシュガーロードを通って伝わった洋菓子を作るために大量の卵が必要だったことが挙げられます。新鮮な食材で作られ、福岡の人たちに愛されている庶民的なグルメを是非お楽しみください。

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